統合失調症の療養記録。

持病に統合失調症があり自宅療養をしているので、気分転換に書いていきます。

療養は理解とのんびり出来る環境と合う薬が必要。

現在、統合失調症の療養をしていますが、これまだに感じた事で
これは大切ということを書いていきます。



19歳の時に統合失調症の診断をされ、現在36歳です。
両親は精神疾患に理解がなく、恥ずかしいものだと捉えていたようです。
なので、統合失調症にも理解はなく、仮病だ、怠けていると言われてきました。



薬の副作用のため動けない時間だとしても、怠けていると言われてしまうのと、仮病と言われてしまうので、働かなくてはならず、働くことになりました。



その為、薬を無理矢理断薬しないといけなくなりました。


それから離脱症状が出てしまい辛かったです。
いつまでこの症状が続くのだろうと苦しかったです。
ペロスピロン(ルーラン)で治療していましたが、頭を押さえつけられるような眠気の副作用があり、その症状が離脱症状でも出てしまい、半年続きました。



確か半年程だったと思うのですが、気付いたら症状がなくなっていました。



それから数年過ごしましたが、統合失調症のことをすっかり忘れて過ごしました。


薬をやめてから統合失調症のことを忘れていましたが、振り返ると症状は出ていて、しかし症状ということも忘れていたので不思議な体験をしていると思っていました。



そこから数年過ごし、26歳の時に少しずつ幻聴が出始めました。幻聴と気付けずに過し、インフルエンザにもなってしまったのですが、そのインフルエンザで体調を悪化してしまい、入院しました。


入院は1ヶ月ほど。



退院しても半年程、幻聴も幻覚も妄想もあり、そこから少しずつ幻聴などが緩やかになったように思います。



仕事も出来るようになりました。



その数年後、今度はストレスが重なり体調が悪化し、入院することになりました。
この時も入院は1ヶ月ほど。



そして自宅療養を始めました。


そして一昨年の年末、またストレスで体調が悪化しました。
今回は入院せずに自宅療養です。




何度か体調を悪化してしまったことで分かったのは、病気への理解と合う薬と、のんびり出来る環境が必要ということ。



幻聴と妄想と幻覚に悩まされて壁を叩いてしまったり、幻聴に対して大声で対抗したり抵抗したりしたりしました。


傍から見ると何をしてるんだこの人、という状況です。


幻聴と妄想が同時に出てしまうと、現実には起きていないことなのに、実際に起きていることとして判別してしまうので、全てが現実なんです。
なのでこれがとても厄介で、自分でおかしいと気付ければいいのですが、気付けないこともあるので病院へ行くことができない場合もあります。


家族が判断して病院へ連れていこうと伝えても、『これは病気じゃない!』となってしまうこともあります。




26歳で悪化した時はリスパダール(リスペリドン)を処方されました。
この薬の副作用は、わたしの場合は満腹中枢が壊れたと思うくらい、食べても食べても薬くならないので、苦しいという感覚を体感したくて食べてしまって、ノイローゼになり、更に生理も止まってしまいました。
そこからエビリファイ(アリピプラゾール)に変更になりました。
変更してから、生理も来ましたし、食欲も通常に戻りました。



しかし双極性障害のような気分の波や、子供の頃からですが、体調の波もあり、学生時代は学校を早退したり、仕事を始めてからは休んだりすることもありました。
更に、仕事の前の日は緊張してしまい眠れず、無理して寝ないといけない状態でした。


そのせいで出勤中にパニック発作を起こしてしまい、電車通勤の時は電車の中で冷や汗脂汗が酷く、呼吸もうまくできず、吐き気もするし死んでしまうんじゃないかと思ってしまいました。
駅のホームでうずくまっていると、駅員さんに医務室に連れて行っていただき、やすむこともありましたし、ファストフード店で声が大きい人がいた時に具合いがいきなり悪くなり、また冷や汗と脂汗が出て頭の中はパニックになり、トイレに行って吐いてしまったりだした。



気象病のような症状もあり、気圧の変化や季節の変わり目で頭痛が出たりうつ症状で動けない日もあったりでした。



他にも1人で買い物をしていると、いきなり不安感が強くなってパニック発作が出てしまったりと、色々ありました。
幻聴、幻覚はほぼなかったですが、妄想は出ていて、外食やカフェでは周りの視線や会話が気になってしまい、居心地が悪くてゆっくり出来ませんでした。



そんなことがあり、一昨年の年末に体調を崩し、昨年からラツーダ(ルラシドン)に変更してからは、少しずつ強い恐怖感、強い不安感や、周りの視線、周りの声が気にならなくなってきました。



そして、パートナーが支えてくれました。


ラツーダに変更することは、パートナーからの薦めでした。



わたしの場合、双極性障害のような気分の浮き沈みとドーパミンやセロトニンなどが多く出てしまっているせいかもしれないとパートナーが思い、ラツーダへの変更を薦めてくれました。


その時わたしは症状が酷くてわけが分からなくなってしまっていて、ラツーダの話しをされてから病気という判断を少し出来るようになり、それでも幻聴と妄想と幻覚は酷かったので、それらに対して『薬変えるから待ってろよ!』と大声で対抗と抵抗をしました。




現在はある程度落ち着きましたが、頭にブレインフォグ(頭にモヤがかかったような感覚や重だるい感覚)や、そのせいで寝ていないとキツい状態だったりするので寝て過ごす状態です。


それでも食事に気を使うようになってから、それが少し落ち着いてきたように思います。



強い不安感と強い恐怖感があった時は、収入は障害年金しかないし、老後、パートナーが先に他界した時にどう過ごせばいいか分からなくて焦ってしまい、今仕事をどうしようかと探したり、それでも症状のせいで働けないと諦めざるを得ないし、となり、更に今もなんですが、介護施設やグループホームにいつから入ろうかと相談してしまったりしています。



それでも、のんびりさせてもらえたことと、薬が少しずつ症状を落ち着かせてくれていることと、色々調べる時間があったことで、気持ちも落ち着いてきています。



病気への理解がないパートナーだったら捨てられていただろうと怖いです。



たくさん酷い状態を見せてしまったし、たくさん怒鳴ってしまって喧嘩もしてしまったけれど、わたしがふと一瞬何でもない状態に戻ることがあったから待てたと言ってくれました。



感謝しかないです。



それでもパートナーは疲弊もしたので身の危険を感じ、家族に相談したそうです。






現在住んでいる部屋はある程度落ち着いて過ごせるのですが、体調を崩した時は壁がとても薄い部屋に住んでいたので、お隣さんの声が聞こえてきてストレスになり、体調が悪化しました。




それでも今の部屋も下の階から声が聞こえてきたり、外の音や声が結構聞こえる時間は疲れてしまいますが、前ほど神経と耳が過敏ではなくなったので、合う薬って違うなと思いました。






36年生きてきて感じたのは、のんびりゆっくりできる環境はとてもありがたいということ。


病気に理解がある人が側に居るか居ないかで、休まり方も療養の仕方も変わってきます。



焦らなくていいよ、と言われるのですが、症状が焦る状態にさせることもあるので、焦らないというのはとても難しいと感じました。



わたしは幼稚園の頃から症状があるので、統合失調症とは付き合いが長いですが、全く症状に慣れないです。
慣れないだろうとも思います。
ですが、知ることはできます。
なので、日々体調や症状を見学しながら過ごしています。



生理前になると、ホルモンバランスの乱れから、不安感と幻聴と妄想が強くなるというのも分かりました。



ラツーダにして思ったことは、やっとこれがわたしなんだ、ということ。



今まで働けていたのはここまで酷くなかったというのもあるけれど、症状もありながらだったので、ラツーダにして、本来の状態になったのはあるんだろうな、と思いました。



なので、どの状態まで体調が落ち着くかは分からないですが、ホッと出来たのはあります。



将来への不安はありますが、パートナーには『それはみんなだよ』と言われたので、そうなんだということにしました。
ですが、目標や決め事をした方がわたしは落ち着いて過ごせるというのもあり、何歳から介護施設かグループホームに行こうか、とか、でも気を遣うのはしんどいから、パートナーが先に他界したらどんな制度が助けてくれるんだろうというのを今から調べています。



そうしてるとパートナーからは、『老後の情勢やあなたの体調や状態によって変わるよ』とも言われています。


なので、趣味を見つけないとなぁと思っています。



とりあえず、まだ不安感はあるけれど、やっとのんびりゆっくり過ごせるようになったのはあるので、無理せず過ごしたいと思います。